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  •  第3回全日本フォークジャンボリー (1971)

開催の記録

日時          1971年8月7日開幕、9日閉幕
参加人数                         約20,000~25,000人
入場料                             1000円

出演者

サブステージ(フォーク)

8月8日(午後0時より) 山本厚太郎・長井隆 → ビューティー → のこいのこ → 斉藤哲夫 → あがた森魚 → 斉藤哲夫 → 小野和子 → 野沢享司 → 厚太郎・トン・長野 → 山平和彦 → 水谷(アマチュア) → 吉野(アマチュア) → シュリークス → 万華鏡 → 都会の村人 → シティ・ライツ → 本田路津子 → 麻田浩 → 五輪真弓 → 高田渡 → 岩井宏 → 岩井宏・高田渡・加川良(三バカトリオ) →吉田拓郎 → 六文銭 ・拓郎その他 → 六文銭 → 吉田拓郎 → 六文銭〔終了)

サブステージ(ロック)

8月7日(午後2時より)乱魔堂 → 野沢享司 → なぎらけんいち → 岡林信康 → 加川良 → 岩井宏 → 金延幸子 → 友部正人 → 友川かずき → 遠藤賢司 → はっぴいえんど → Dew
8月8日(午前0時より)ブルース・クリエイション → カルメン・マキ → ザ・サード 〔終了)休止〔午後2時より)ザ・ディランⅡ→ 村上律 → 柴村夢二 → 中川イサト → 品川寿男 → シバ → 高田渡 → 岩井宏 → 友部正人 → 武蔵野タンポポ団 → 万華鏡 → なぎらけんいち → あがた森魚 → 斉藤哲夫 → ダッチャ → はちみつぱい
8月9日(午前0時より)ミッキー・カーティス → 乱魔堂〔終了)

メインステージ

8月7日〔午後4時半頃より)トン・フー子 → Dew → 小野和子 → 上田康彦 → クライマックス → 五輪真弓 → ガロ → 高田渡と武蔵野タンポポ団 → ミッキー・カーティス → 加川良 → 長谷川きよし → 淺川マキ → ブルース・クリエイション→ カルメン・マキ → かまやつひろし → シティ・ライツ → 三上寛 8月8日(午前0時より)小林啓子 → 御陣乗太鼓 → 薗田恵一とデキシー・キングス → 吉田拓郎 → 六文銭 → 岡林信康〔午前3時終了)休止 〔午後4時より) ホームタナーズ→ はしだのりひこ → 中村よう子 → 友部正人 → 本田路津子 → 麻田浩 → 斉藤哲夫 → シティ・ライツ → シュリークス → トン・フー子 → 加川良 → 長谷川きよし → 中川五郎 → 加川良 → 都会の村人 → クライマックス → 岡林信康 →三上寛 → 日野 皓正クィンテット → 安田南+鈴木勲カルテット(演奏途中で中断)

      

解説

三回目に当たる本大会は、主催は中津川労音内にある「フォーク・ジャンボリー実行委員会」であったが、日数は3日間、観客はピーク時には2万5千人と前年の3倍にもなり、もはやアマチュアイベントのレベルではない大規模なものになっていた。
反戦・変革運動の一環でもあった過去の大会に較べ政治色も薄れ、単純に音楽を楽しむ若者のお祭りに変質しつつあった。
会場もメインステージのほかにロックとフォークのサブステージがそれぞれ設けられ、さらに黒テント〔劇団)や野外の映画上映会場まであり、これも以前の回に較べて大きな規模のものになっていた。

出演者もかなりの数に上ったが、一番の注目を浴びたのは新人では「三上寛」、また「吉田拓郎」(当時の表記は「よしだたくろう」)がフォークのサブステージで繰り広げたパフォーマンスであった。これは当初PAトラブルから苦肉の策で「人間なんて」を歌い始めたものであったが、出演者や観客が酒に酔っていたせいもあり非常に盛り上がって、結局断続的ではあるが、約二時間に渡ってこの1曲のみを延々と歌い続けたのであった。 フォークのサブステージの観客は数百名程度でメインステージと較べてごく小規模ではあったのだが、拓郎が翌年すぐにブレイクをしたためにこのステージは後々伝説として語り継がれることになる。

       

エピソード

様々なエピソードが生まれたコンサートであったが、やはりこの大会を有名にしたのは一部観客によるメインステージの占拠事件であろう。

8月8日の午後10時ごろ安田南+鈴木勲カルテットの演奏中に300人ほどが隊列を組んで「ジャンボリー粉砕!」を叫びながらステージに乱入し演奏を中断させたこの事件は諸説あるが、(フォーク・サブステージでの吉田拓郎のステージであおられた観客がメインステージに殴りこみをかけようとして実行委員会側と押し問答になるという事件もあったが、この件と直接関係あるかどうかは不明)、やはり最初からコンサートをつぶす目的で入場していた連中がいたのは事実であろう。
会場は当初ヤジと怒号で騒然となり、様々な参加者が入り乱れて討論会となったが、(CDのシークレットトラックでその一部を聴くことが出来る。)あまり中身のない論議に一般の観客は次第に嫌気が差し、そのままなし崩しにコンサートは終了してしまったのであった。粉砕賛成反対の果てしない討論は実に朝の6時まで続いたという。

この事件がきっかけで翌年以降のコンサートが行われなかったのではないかという推測もあるが、実は主催者側〔笠木透氏など)は当初から余りに巨大化してしまい当初のコンセプトから離れていってしまったジャンボリーをこの3回目で終了するつもりでいたという。そのためこのステージ占拠事件は表向きは粉砕派と激しい討論を交わしながらも内心では「これで大手を振ってやめられる良い理由が出来た。」と思っていたというエピソードがある。

      

音源・映像

本大会はメインステージのみならずフォーク・サブステージとロック・サブステージの3ステージでの構成であったが(黒テントは除く)、全ステージとも前年同様の高音質での録音が残されている。〔PAや照明は東京からプロのスタッフを呼んでいたし、バンドによっては専属のミキサーがいるなど音響に対する意識が高くなりつつあった時期でもあった。)

基本的に三浦光紀氏を中心としたキングレコードが一括で録音してそれを主に所属アーティスト別に割り振ってキング、ビクター、フィリップス、URC各レコード会社からそれぞれ発売するという形が取られていたが(当然ながらキングレコードからの盤が一番バランス良く収録されてたが・・・)、このマスターテープはその後何故かURCが保管していたらしく70年代後半はSMSレコードから「幻のフォークライブ傑作選」シリーズ、CDの時代になってからは1989年からはキティ〔SFC音楽出版)、1996年からは東芝EMI、2002年からはavex ioとURCの販売権を持ったレコード会社から主に発売されることが多くなった。

それぞれが未発表の曲を含む盤などをリリースしたが、様々なコンピレーションに細かく分けて収録されたり、70年代はレコーディング契約にルーズだったこともあり、発売後に権利関係でもめてその後の再発売がされなかったりと後に相当な混乱を招くことにもなった。
また吉田拓郎の「人間なんて」はキングやビクター盤に収録されたものとは別の音源が70年代末にラジオでオンエアされたこともあり、ラジオ局などが独自に持っている音源もあることを伺わせる。

映像に関してはTVの制作会社であるテレビマンユニオンが撮影し、45分の記録フィルムとして保管しているという話もあるが詳細は全く不明。(佐野史郎氏がテレビマンユニオンと仕事をしたときに探してもらったが見つからなかったと語っている。)使用されなかったフィルムも含めて発掘されることを切望するがこれだけの日数がたっても出てこないことを見ると可能性は薄いだろう。(こういったものは意外なところに眠っていることが多いのだが・・・)

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